すべてはいつか終わってしまう。
僕の「物語」たちが、が終焉に向かう記録。
終わりを記録した「All things must pass.」シリーズ第二弾。
陳腐な表現だけれど、物語が集まって、人生になるのだろう。
この物語が僕の人生にとって重要か否か、正直なところ、まだ分からない。
怠惰に、ただ怠惰に過ごした彼女との時間。
どんなに美辞麗句を並べても、僕にあったのは性欲だけだった。第二弾は、写真+掌編です。
掌編小説のイメージを、写真で表現してみました。
All things must pass.シリーズ第二弾。僕と彼女の15年間の物語の終焉がテーマです。All things must pass.シリーズは、終わってしまった物語の記録を紡ぐものですが、まだ試行錯誤の段階です。この2は、その模索中の一つの答えとして見ていただけたらと思います。
「僕」にとって彼女は、決してそれだけではなかったとはいえ、性欲を処理してもらうだけの存在でした。それでも良いという彼女に甘えた結果です。女性からしてみれば、唾棄すべき男ですね(笑)
怠惰に、ただ怠惰に時間は流れました。性欲処理という言葉を先に使いましたが、リアルには、数えるほどしか彼女とセックスをしていないのです。抱くこともしなかった。面倒くさいから、手と口でしてよ、みたいな。この先どうなるのか、どうするのか、何も考えてもいなかった時代。「僕」は二十代から三十代になり、彼女は十代、二十代が過ぎて、まもなく三十を迎えようとしていました。
ただこの場合の「僕」というのは、作者とイコールではないのです。あくまで物語ですから。そういう現実と虚構のせめぎ合いを表現するには、写真というのは生々しいなと思いました。写真は役者が演じるドラマや小説と違って「真実」っぽい印象を拭えないからです。これを見た人の多くが、ノンフィクションだと思い込むでしょう。それは制作者としては狙ったことなのですが、読者に思考させる隙を与えないという意味では、表現としては失敗だったかなと反省しています。なので、まだ試行錯誤の段階なのです。